池袋の公園めぐりをした日記

言葉は何でも切れるハサミみたいなものなんで、何かよくわからないものでも適当に名前をつけてしまえば、それを他のものから分離して切り取ることが出来る。とは言っても何かを名付けるというのはそんなに簡単ではなくて、今いる南池袋公園の様子、思ったより人が多くて、混雑ているけど、それぞれみんなが思い思いの時間を過ごすことが出来るくらいの余地はあるらしい、その情景の全体を何らかの名前で呼べば、その言葉が凝結材のようにこの空間に流し込まれて、固定化することが出来る。写真のように?

私の左後方では歌の練習をする人たち、マクロス何ちゃらの曲。「キラッ」とかいうやつ。公園の芝生の中、レジャーシートを敷いて寝転ぶ人たちの真ん中でバトミントンをする男女。公園の隅にあるカマボコ型の坂を滑り台にして遊ぶ子供たち。私のいるあたりは小高いウッドデッキになっていて、芝生を挟んでカマボコ型の反対側には何かお店がある。公園入り口の時計台にはフクロウの像があり、その下で女の子が今しも芝生沿いに張られたロープを飛びこそうと駆け出す構えだ。こんなものを楽しいと思えるようになったのはいつからか、他の人たちがいて、その人たちが生きて動いているだけで何がしかの慰めか満足に似たものがある。

言葉が切り取るものは存在するものばかりじゃなくて、それは誰でも知っているけど、「無い」という言葉や「ゼロ」というのはそれによって、どこからだかわからないけどそれの意味するところのものを切り出してきた。単語でも言葉の並びでも、それは何がしかの意味やフィーリング、ニュアンスを切り出して来るもので、詩人がやっていることというのは、つまりそういうことでしょう。それで、やりようによっては意味のない言葉をとりあえず作っておいて、差し当たり空虚なその単語が次第に誰かの思考の中や人々の間から、今まで切り出されたことのないものや、それまでは存在すらしなかったものを、どこか別のところから引きずり出し削り出し切り取ったりすることが出来るかもしれない。そんなことを言って、別にそういうことをしたいわけでもないけど。

昔読んだ漫画「ぼのぼの」で確かシマリスくんがそんな意味のない言葉を作り出していたことがあった。「パオパオラリへ」未だにこんなものを覚えている。確か激痛をもたらす薬草を患部に塗り付ける時に、その痛みを紛らわす役に立つかもしれないということで、この言葉が出てきたんではなかったか。公園には照明がともり、ビルに囲まれて一足先に姿を消した太陽は、見えないながらもそれを染めつつあり、シートをかたずけて公園を後にする人、相変わらずそこらを走り回る子供たち、子供は意味もなくそこらを走り回りたくなったりするものだということを思い出した。小学生くらいのお兄ちゃんが、まだ言葉を話せないよちよち歩きの弟か妹を抱きかかえてデッキを降りる。そのお兄ちゃん、ベースボールキャップかぶって紺色の服を着た、は先ほどこの辺を走り回り段差を飛び越えしていた子だ。イヤホンを半分ずつ分け合って音楽を聴きながら微笑み見つめあうカップル。そんなものを現実に目にすることがあるとは。

ふらふらとサンシャイン方面へ歩いて迷っていると、お阿波踊りの練習を知る人たちや何かのカードかバッジのコレクションを手に持ち見せ合ったりしている女性たちのいる公園があった。十字路沿いには小さな白フクロウの像。調べてみると中池袋公園というらしい。交差点の向こう斜め向かいにはアニメイト池袋本店。カードだかバッジはここと関係がありそうだけど確かなことは分からなかった。南池袋公園とは随分客層が違い、それはそれでいいことだと思う。それぞれ各々の好みや個性に応じた居心地の良い場所があるというのは良い。

そのまま線路のほうへ、新文芸坐の方へ行くと池袋駅前公園、暗く殺風景な公園というより喫煙所であるここには酔っ払った老人と男たち、それから何匹かの人慣れした猫がいた。何だか池袋公園めぐりになってきたので、このまま西口公園あたりにも立ち寄ろうかとも考えたけどやめた。駅も近いし帰る。

そう思ったにもかかわらずパルコ前を通る時、人の流れに流されて、ウィ・ロードという東西連絡通路を通ってしまい。歓声に引き寄せられて西口まで歩いて行くと、祭りが開催されていて、それはふくろ祭りという祭りで、駅前ではよさこいの踊り。つまり先ほど中池袋公園で見たものは阿波踊りの練習ではなくて、よさこいの練習だった。学生たちが衣装を着て、エモいナレーションと音楽の中、でかい旗が舞い、人垣の向こうでは踊りが披露されているようだった。西口公園に移動するとそこでもよさこい。どっこいどっこいどっこいしょ!!ソーランソーラン!!との事だった。これから踊る人たちが列を作って駆けて行き、あるいは掛け声をかけて、キラキラした刺繍の施された色鮮やかな着物を着て、次の出番を待っている。踊り終えた人たちは晴れ姿のまま、知り合いに挨拶をしたら、一緒に踊ったメンバーと語り合ったり、祭りを楽しみに公園を後にした。

エモーショナルな祭りの会場を後にして、西池袋公園までやってきた。人もまばらで、鈴虫か何かが鳴いている静かな公園、遠くでパトカーのサイレンがなっている。よさこい祭はここまでは聞こえてこない。タイルと木々と少しの遊具。滑り台や動物型の乗り物。時々クラクションが聞こえ、警察官が歩いている。祭りの参加者達はこの日のために何日も練習を重ね、遠くからやってきた人もいて、この日その成果を披露する。友人や家族がその様子を見にきてスマホやデジカメで録画し、それらがあの場所に凝集して、私は今踊られているその踊りではなく、その背景にある練習の日々や本番に向かいつつも送られる毎日の日常に近づきたい。それを当事者としてではなく、安全な傍観者としてただ眺めていたいのだ。西公園では祭りとは無関係な人たちが話をしたり歩いて通り過ぎたりしている。南公園ではレジャーシート上で小さな宴会やおしゃべり、恋人達がデッキに腰掛け、子供達はもうあらかた帰っただろうか、いやまだ遊び足りないちびっ子らはカマボコ坂を登って行き、中公園ではアニメイト帰りの娘達が本日の購入物や自身のコレクションを見せ合い、駅前公園ではこれから映画を見る、あるいは見終わったシネフィル青年やパチンコで負けたか勝ったかした人、お酒を飲んで良い気分のおじさん達がタバコを吸い猫が佇み、西口駅前とウェストゲートパークで巨大な旗が空中を横断すると、見物客達はそれを眺め参加者達は彼らのよさこいに費やした年月をその踊りで表現している。
これらの情景やそこでの出来事全てを切り取ってしまえる言葉が欲しい。パオパオラリへ?それは冗談だけど、こんな一言でも、何がしかの痛みを少し和らげる役には立つかもしれない。