宇宙人が侵略してくる映画を観て

地球に宇宙人が侵略してきたとして、そいつらが人類を抹殺しようとするとは限らない。例えば彼らから見たときに人類と他の地球上の生物たちは、わざわざ区別する必要がないくらい等しく下等な生物たちと見えるかもしれない。彼らが植物と動物を違ったものとして扱うかどうかもわからない。

地球上のどこかに居住しようとした宇宙人が、人類のことなど全くお構いなしに、好き勝手に住居をつくり生活し始める。家を建てるとき、もしそこに邪魔な木があれば、それを取り除く、という程度の感覚でそこにいる人や動物や建物を除いたりするが、そこに攻撃の意図は全くない。もし彼らに目や耳や口が無かったら?彼らがコミュニケーション能力というものを持たなかったら。彼らが、意識や生命というものを持たず、惑星間を行き来する事ができるほどの技術がそこから創発した、複雑に洗練されたシステムのプロセスとして存在する何らかの物質、としか言いようのない物だったら。

例えば犬が数万年前に地球にやってきた宇宙人だったとしたら?地球上で生活し始めるにあたって、狼のバリエーションとしての肉体を選択し、さらに自らの存在を人類の生活の中に組み込む事で生存することを選択した宇宙人。それが私たちが「犬」とみなしている生き物だったとしたら。ある日突然、世界中に住むその宇宙人たちの末裔が地球と人類に見切りをつけて、他の惑星に旅立ったなら。

それはどうでも良いけど『散歩する侵略者』を観てきた。始まって間もなくの場面。血まみれの女子高生がこちらに歩いてくる。肩を何というか気持ち悪く動かしている。クラクション。トラックと乗用車がクラッシュする。この場面がこの映画中ずば抜けてかっこいい。松田龍平はもう何だか観てて安心感がある。というのはどういうことかよく分からないけれど、彼は自分の演じる役にいつでもちゃんとハマる。というのはどういうことか、いったい私は何を言っているのかよくわからない。それから、長澤まさみが黄色い車の中、運転しながら「期待して損した」とか何とかそんな事を喋っている場面の、そこの話し方が他の場面での話し方と違っていて、別の映画の?登場人物みたいになっていた、と感じた。そこのシーンがとても良かった。

ともかく映画の中の宇宙人というのは、これから先ますます人間とは違った思考のスタイルを持ったものとして洗練されていき、地球にやってきて、人類に分からない動機により、人類に理解できない行動をし、それを理解するために人類が四苦八苦したり、宇宙人たちの理解不能の行動の結果生じた事態への対応のために様々な人物が苦労する、という方向に向かうのかもしれない。そして、宇宙人もゾンビも幽霊もAIもみんなそんな感じなので、それらを区別する必要が無くなったり、それらが混ざったような「宇宙ゾンビ」とか「アンドロイド幽霊」みたいなものがそのうち生まれてきたりするのだろう。