今更ながら、5月に出てたBurialの新曲『Beachfires』、映画『メッセージ』の『First Encounter』っていう曲に似ているところがあって、おおっと思った。パクリだとかそういうことじゃなく、良いじゃん、と思ったのだ。実際のところ映画の影響があったかどうかは分からないけれど、ともあれこの感じ好きだな。

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だからと言って特にそれ以上言う事は無いけれど。

聖剣伝説2がリメイクされるというニュース。懐かしい。たしかこのゲームが初めて買ったRPGだったんじゃないかと思う。これか『ブレスオブファイア』かどっちかだったな。

中断
再開

正面にはヒカリエ、ちょっと左のほうには龍角散の看板。

また今日も酔っている。そしてここは渋谷で山手線のホームにいて、先ほどまではライブイベントを見に来ていて、そこではキャップをかぶった女の子がギターを抱えて歌っていた。サウンドはフロアに飽和して歌詞は聞き取れず、コードの持つ雰囲気に包まれて、カメラを掲げる子や、友人と話をしている人がいて、私は酔っ払って、トイレの外、壁に寄りかかっていた。

壁にはライブペインティング、DJ とバンドのライヴが交代で、ここに来ている子たちは、アート系の学生やクリエイティブな、とは一体どういうことかわからないけれど、そういう会社に勤めていそうな人達で溢れていて。そしてそこにいる男の子も女の子もみんなかわいい。彼ら/彼女らのことが「かわいらしい」と見えるほどに私は歳をとっているということに、気づいてはいたけれど知らんぷりを決め込んで、ひたすらアルコールを摂取し、酩酊することでこのつまらない場所を(自ら望んてやって来たにも関わらず)何とか耐えられる場所に変えることはできないかと考えていた。

そう、こんな風に自分だけの楽しみのために書くことができれば良い。この数日間急速にブログを書く意欲が減退していったのは、もしかしたら誰かが読んでくれるかもしれないという考えのせいで、もし読んでくれる人がいたなら、その人に感心してもらえるようなものを書かなくてはと、そんな思いがいつの間にか強くなっていったからだ。

それはそれで、誰かを楽しませる文章を書くことができたならそれはそれで素晴らしいことだ。だけどそれは誰か他の人、私より才能や技術のある人がすれば良いことであって、私がそれをする必要はない。というかそう出来るだけの能力は私にはない。

聖剣伝説2のリメイクが決まり、このゲームに夢中になった時のことを思い出す。主人公の名前は、ディラック?ディラン?ラディック?惜しいところまで行くものの思い出せず。調べるとランディだった。そして当時小学3年か4年生の私は、この臆病で弱虫の少年が聖剣を手にし、どういうわけか世界中を旅して、恐ろしい人物やモンスターに立ち向かって行くのを見届けたのだった。そして何よりも素晴らしいことは、私自身も、半分はランディやプリム、ポポイと同一人物のような気分で、半ば当事者、半ば傍観者として、彼らの旅について行くことができたということだ。彼らの旅路、そしてやり遂げたことを思うと、あの少年たちに対する畏敬の念が、それがフィクションであって現実ではないということはわかっているにも関わらず、湧いてくる。

というかある意味で、彼らの冒険は、私にとってある種の「現実」だった、と言える。それを簡潔に言い表すことは出来ない。だけどTVゲームのめり込んだことがある人は、この感覚はわかるのではないだろうか。ブラウン管の向こうにもう一つの現実があった。それは私が存在する現実とは違った形をしていたけれども、私がそれを経験した時、それは私の「現実の中の現実」つまり劇中劇としてではなく、もう一つの現実として私に現れたのではなかっただろうか。

私はあの髪の毛のツンツンした男の子と一緒に村を追い出され、ドワーフたちの集落で妖精の子供と出会い、許嫁だか恋人を助け出そうとする女の子と出会った。恐ろしいトラと戦ったり、目玉のついた壁に押しつぶされそうになったりした。

砂漠でランドスピーダーのような乗り物に乗った敵とたたかったりしたのではなかっただろうか。ウンディーネやイフリート、その後様々なゲームで再会することになるこれらの精霊たちと初めて出会ったのは、あの時ではなかっただろうか。最終的にディラックを救い出し取り戻すことができなかった時、ポポイと別れることになると知りながら神獣との決戦に挑んだ時、私たちは彼らと同じ気持ちを共有していたのだった。いや、本当はプログラムでしかない彼らの代わりに、私たちこそが、彼らの経験を経験していたのだと思う。

エンリケ・ビラ=マタス『パリに終わりはこない』を読んでいる。極端に単純化してしまえば、様々な作家たちの名前がこの作品の中にちりばめられていて、それらの名前を見たり読んだりするだけで快感を感じるタイプの人たち、(海外)文学オタク向けの作家であって、つまりどういうことかというと最高である。もちろんそれ以外にも興味深い部分はあるだろうとは思う。講演会の内容なのか、語り手の思考の記録なのか、回想録なのか、意図的に混乱させられるスタイルや、語り手のパリ生活を中心にして様々な作家の名前や彼らのエピソードが撚り糸のように束ねられていく感覚も楽しい。文学者たちのクロスロードを捏造する事によって、自身の作品をその文学史の中にねじ込んでいこうという試み。
だけど結局のところ一番楽しい部分は、好きな作家の名前がその中にひょっこり姿を現すところで、そんな単純な事でこれは良い作品だとか思えてしまう。