「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展に行った

秋葉原駅から山手線神田駅、地下鉄に乗り換え銀座線日本橋駅から東西線竹橋駅へ。階段を上り地上へ出ると相変わらずの曇り空だった。左手に皇居、まばらに走るランナーを眺めながら横断歩道と橋を渡ると東京国立近代美術館に着いた。受付でチケットを購入し、荷物をコインロッカーに預け、「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展の会場に入った。来場者には建築家や学生などが多かったのだろうか。全体的に若めの印象で、それぞれ展示の写真や映像、住宅の模型を熱心に眺めていた。入ってすぐ、丹下健三とアントニン・レーモンドそれぞれの自邸が紹介されていたところで、1組の男女が写真や平面図を眺め、男性の方がそれに簡潔なコメントを加えると、女性の側がそれに対して相槌なりちょっとした返答をしていた。二人は恐らく建築家かもしくは設計事務所などで勤務しているのではないだろうか。彼は写真をさっと一瞥すると、すぐにその写真の中に興味深い点を見つけ一言。障子のサイズが180cm×180cmの正方形で通常の規格品ではないため、それが珍しく興味深いというような事を言っていたと思う。平面図を眺め、形状や組み立て方についてのコメントを入れる。それらの判断がとても早かった。それぞれの平面図を数秒――10秒も無かったと思う――眺めると、彼らにはその図の意味、家の形状などがわかり、写真にさっと目を通すと、そこに何かしら面白い点を見つけることが出来る。それは明らかに建築に対する知識を持ち、平面図などの図表を見慣れている人だった。私は平面図を眺めても、ここに玄関があって、ここには階段、和室、トイレ、製図室と、せいぜいそのような部屋の配置を理解する事で精一杯だった。戦後の建築スタイルを三期に分けて説明する映像があり、前の人達が席を立ったタイミングで私がそこに座ると、英語バージョンの解説映像が流れた。音声は無く、映像と英語の字幕だけ。そして英語の字幕は時折ネイティブでもどうかと思うほどの早さで切り替わる事があり、当然私には解読不可能だった。

私に残された楽しみは、模型の前に屈み込み、それを色々な方向から眺め、覗き込み、写真と見比べて、また上から覗き込みする、という事くらいだった。二人の学生がお互い意見交換しながら展示を見ていた。彼らにとってはこの展覧会は非常にプラクティカルなものだ。真剣な表情で展示を見つめていた。後半の撮影可能エリアではデジカメを――スマホではなく――取り出し撮影する姿が見えた。

後半のエリアは開けた空間になっていた。広いホールの中央には原寸大の建物が建ち、その周囲をぐるりとテーマごとに分けられた模型、写真、図面が配置されていた。展示物とそれを見る人達が見渡せる。いくつかの映像が流れているコーナーがあり、椅子に腰掛けヘッドフォンをつけてそれを見ていた夫婦。終始微笑んでいるような表情で映像を見ていた男性もおそらく建築家かデザイナーで、その自然と漏れる笑顔が建築に対する愛情を何より物語っているように思えた。ホールの中央よりの場所で挨拶をしあう女性が二人。内容はほとんど聞こえない距離だったものの彼女たちの会話が聞こえて、「今日はありがとうございました」というような事を一方が言い、深くお辞儀をした。お互い一人でここに来て、何かの拍子に会話が始まり一緒に展示を見て回った。そしてそれは楽しい、充実した時間だった、という事だったのだと思う。これは私の想像でしかないのだけれど、もしかしたらちゃんとは聞き取れなかったその会話の中で、そう思われるようなフレーズが聞こえていたのかもしれない。高校生の一団が――といっても5~6人――がホールにやってきて、それがまた2~3のグループに別れ展示を回り始めた。3人で並んで模型を見るグループ、実物大模型の中に入り畳に座る2人、マイペースにあちこちフラフラ見て回る1人。あるいは人数の配分は違ったものだったかもしれないし、展示を見る中で入れ替わり、集合、散開を繰り返していたかもしれない。展示を楽しむ人たちとは反対に、私は居心地が悪くなってきた。私が育った家――木造二階建ての家だった――のような建物はこの中には無かった。展示されていた住居はどれも、それぞれのテーマを象徴するような、何かしらの特徴が際立った家々で、それらにはやはりどこか先鋭的なところがあるものだった。それらの建物を見ると面白さと同時に「だけどこの家には住みたくない」という考えがサッと胸の辺りを掠めていく。私は平凡な取るに足らないような家に住み、平凡な暮らしをしたい。だけどいつの間にか、その平凡すら手が届かないものになりつつある。日ごとに萎んでゆく私の未来の中で、今ではそんな平凡がかろうじて手が届くかどうか、ギリギリの目標になっている。あるいは今にも消えそうな夢か。そういうことだろうか。

展覧会を出てカタログを購入した後は、楽しみにしていたガーデンビアバーだったのだが、美術館の前庭にはキッチンカーが一台あるだけだった。外は大雨になっていた。ブリュードッグのパンクIPAを注文し、テラスの椅子に腰掛け雨宿りをした。この雨では隅田川の花火大会は中止だろう、そう思いスマホで調べるとどうやら雨の中強行開催されるようだった。美術館の庭にある、傾いた三角錐のようなオブジェや雨、走って駅に向かう人を眺めながら、あと1時間ほどしたら始まるはずの花火大会ことなど考えて、ビールを飲んでいたら、ほとんど無駄に時間をつぶしているこの無為の時間が心地よく感じられ、ずっとこうしていたいとは思わないものの、休日に数十分こんな時間を持つというのもいい事かもしれない、という気分になった。

庭のオブジェの事が気になり「東京国立近代美術館 庭」で画像検索をしたところ、「現代美術のハードコアは世界の宝である」展のときに展示されていたマーク・クインの作品が出て、あの時これが展示されていなくて良かった、と思った。あるいはあの雨の中、これから始まる花火大会の方角、浅草の方に目を向けてヨガのポーズをとる巨大なケイト・モスがそこにいたら、それはそれで何かしらの感慨を私に与えただろうか。

http://static.panoramio.com/photos/large/108457108.jpg