読書感想文 滝口悠生『茄子の輝き』_2

再開

そうだ、会話が凄く良かったのだった。78ページで市瀬と鶴上が会話している場面。市瀬はまた千絵ちゃんのことを熱く語っている。

鶴上さん僕はね、そういう惚れたとか腫れたとかそういうことを言ってんじゃないんだよ。ないんですよ。いいかい、いいですか、千絵ちゃんが、そこにいる。

そして会話からの場面転換、スイッチする。照明の色が変わったかのように、暖色から寒色へ。この切り替わりが心地よい。ここに快感がある。

『茄子の輝き』の初めの部分、後からわかる事だが、5年前の市瀬が職場の夢を見ている。その夢は記憶としてではなく、ひとつの体験として市瀬のところにやってくる。その時市瀬は過去を思い出しているのではなく、過去の場面そのもの(あるいはそれらの寄り集まったもの)がその場所に存在している。
そんな事を考えていて、吉田ヨウヘイgroupの『ブールヴァード』を思い出した。忘れていた出来事が蘇ってくるとか何とか、そんな類のことが歌われていた記憶があったのだが、聴きなおしてみたらちょっと思っていたのと違った。

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それに、申し訳ないがこの曲自体もこの数年でずいぶん色褪せてしまった。好きなバンドではあり、twitterのアカウントを見ると今新譜のレコーディングをしているようなので、期待したい。

中断
再開

会わなくなってから、もうずいぶん時間がたつ人から連絡が来る。会わなかった間のことをその人は話して聞かせてくれる。自分の知らない場所で、知らない生活をその人が暮らしていたことを知る。
もしかしたら、その瞬間に私の知っていたその人が本当に過去の人になってしまうのかもしれない。あの人はあの人のまま、変わらないところもたくさんあるのに、それでもいくらかは違う人だ。だから私は、私の知っていたあの人と再会することは決して出来ない。もし再会があるとすれば、その相手はかつてあの人だった、誰か。もちろん相手の変わった部分を無視して、変わらないところだけを見るなら、安心して「あの時のあの人と再会した」と言うことも出来るだろうけど、変わった部分を意図的に無視するならその言葉は偽りだし、単に気づかなかったのならナイーブ過ぎる。

『街々、女たち』
市瀬は終電を逃した女性を家に泊める。女はすぐにベッドに倒れこみ、眠り、市瀬は酒を飲みながら女に語りかける。というか内的独白が途中で語りに切り替わり、いつの間にか目を覚ましていたオノ(というのが女性の名前)がその語りに答える。それで市瀬の独白が続いていた部分でも、実際にはそれと違った形で声に出して喋っていたことがわかる。女の名前のイントネーションは「斧」に近い。
そして市瀬はたとえば豪徳寺に行き、そして本当に豪徳寺にいったのかも知れず、たとえば宇都宮に行き、実際には宇都宮には行かず、そして世田谷線が通り過ぎるのと、その中にいた一人の女性と目が合った事は、それもたとえばの話しだったのかもしれない。

『今日の記念』
運転免許の試験所や免許更新センターで講習をしてくれる方の話し方がとてもこなれていて、洗練され面白い、ということは多くの人が共感するところだと思う。そこにはプロフェッショナルな語りが存在する。
コラージュで作られたアルバムの姿が一変する瞬間が面白い。そして千絵ちゃんからの電話。千絵ちゃんは5年間の間ですっかり過去になってしまった。だからあのアルバムに加えられた変更は、一方では千絵ちゃんのその後を、市瀬の見なかった千絵ちゃんを、見たことにし、自身の過去に付け加える作業であり、同時にその姿を固定化し、決定的な過去として切断する作業となった。市瀬の証明写真とラストシーンのデジカメの写真にも何らかの意味を見出すことは可能だろうとは思うものの、特に思いつくことは無い。

『文化』
居酒屋のようなところに入った客がビールと料理を注文する。次第に場面は居酒屋を抜け出し、高架下の川に入り(誰が?)、スタバでコーヒーを頼むとそこに別の語りが混線してくる。そこは面白いのだけど、そのあと視点が居酒屋に戻ってくると、それまでの混乱した場面がキレイに片付く、というか回収されてしまって面白くない。たとえばその後は、後から入ってきた相席の男性視点でしれっと元の居酒屋に帰還するとかでは駄目だったのか。とはいえそれはそれでわざとらしい感じがしそうだし、あのごちゃごちゃした場面があってもコラージュっぽくならずに、ちゃんとまとまっているように見えるのは実はけっこう凄いことなのではないだろうか。