キルギス

この国では年間1万人以上の女性が誘拐されています。誘拐された女性たちはどうなるのか。誘拐犯と結婚させられるのです。全人口600万人のうち、10代後半から20代の女性が主な被害者と仮定してみましょう。その年代の女性の数は80万人ほどです。その年頃の娘たちの80人に一人がある日突然いなくなり、数日後には誘拐犯の妻となっているのです。誘拐された女性のほとんどが、最終的には結婚を承諾します。なぜでしょう。彼女たちは「伝統だから」これがこの国の伝統だからしかたがない、と言います。誘拐犯も、誘拐犯の家族も、被害者の家族、親戚も皆が同じ事を言います。

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キルギス、クルグス、あるいはキルギスタン。山々と平原に囲まれた遊牧民たちの土地。昔からこの辺りに住んでいた遊牧民たちは、他の土地からやってきた遊牧民にかわるがわる支配されてきた。時には支配者を打ち倒すこともあったが、その後にはすぐまた別の遊牧民がやってきた。現在の首都ビシュケクは1820年ごろコーカンド・ハン国が建設した砦から始まった都市だ。その後ロシア帝国ソビエト連邦下で発展した。

東西に伸びるキルギス鉄道。ビシュケク鉄道駅を出て、木々が並ぶエルキンディック通り、中央が遊歩道となっていて、その両側を一方通行の道路が南北に走っている。道路の幅は複数台の車両が通れるくらいに広いのだが、路上駐車の数が多い。道路の中央以外は駐車スペースということなのだろうか。北へ進みチュイ大通りへ、そこで左折するとすぐ右手に銅像が見える。馬に乗るマナスの像。世界最長の口承叙事詩『マナス』の主人公。キルギス建国の英雄。そしてこの辺りは「アラ・トゥー・スクエア」という広場になっている。マナス像の北にはステート・ヒストリー・ミュージアムがあり、この建物が広場の名前に劣らず四角い。そのミュージアムと広場の名前の影響もあるのだろう。この辺りのものは何もかも四角く見える。マナス像の南側、広場の向こうには市庁舎が建っている。市庁舎前にも人物の銅像があり、マナスと向かい合っている。調べていないが恐らくこの人物も何かしらの英雄なのだろう。この街には他にも多くの像が建っている。どれも英雄的な姿をしている。英雄的な姿とはなんだろうか。しかし旧ソ連においては、誰も彼も英雄というイメージが、いったいどういうイメージなのか、ここでは何もかもが実際より四角く見え、誰も彼もが英雄に見える。それは嘘だが、本当だったとしても問題はない。それで何かが変わるわけではない。
チュイ大通りと平行して市庁舎前を通るキエフ通り。この通りを西に進むと、ショッピングセンター「ビシュケクパーク」が見えてくる。建物内の中央が吹き抜けになっていて、天窓から陽光が降り注ぐ。このショッピングモール内には数々の店舗のほか、ボーリング場やゲームセンター、子供達のための遊技場などがあり、紫や青味がかった電飾が壁面を彩っている。この電飾の色合いに独特の感触があるのだが、それを除いてしまえばもうこの場所がどの国なのかわからなくなってしまうのではないだろうか。固有のカラーを除くこと、脱色することで完全にグローバルな空間となる、ビシュケクで最も都会的な場所。

ビシュケクパークからさらに西へ1km、当地で最大のバザール「オシュ・バザール」。他の場所同様、実際には行った事がなく、バザール内のストリートビューも存在しないため、入口付近を見ただけの印象だが、ビシュケクのアメヤ横丁である。バザールの外は車でごった返し、内部は人であふれている。南北に走るバザールを抜け、買い物を済ませた人々は車に乗って、家に帰る。西へ東へ去って行く。

千年以上も前からこの辺りの土地を人々は西へ東へと行き来していた。シルクロード、「長安-天山回廊の交易路網」の構成資産として世界遺産に登録された遺跡がビシュケクの東に存在する。東に60kmほどのところにある「ブラナの塔」。コーカンド・ハン国がビシュケクの原型を建設した頃からさらに800年ほど前、中央アジアを支配したカラハン朝――彼らもまた遊牧民族だった――時代の都「バラサグン」。そこに建てられたミナレットがブラナの塔だった。古代都市の痕跡はことごとく消えてなくなり、広大な平原に唯一残った建築物。塔の先端は倒壊してしまい、現在は20数メールの高さだが、当時は45メートルほどの高さがあったと考えられている。中央アジアにはこのほかにも11世紀ごろに建てられたミナレットが複数あり、例えばウズベキスタンのカラーン・ミナレットはブラナの塔と同様カラハン朝期の建築物だ。

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このミナレットが45メートルほどの高さのため、そこからブラナの塔も同じくらいの高さだったと言われているのだろう。当時は頂上に明かりが灯され、キャラバンの道しるべとなると同時に見張り台の役割も担っていただろう。倒壊し途中までの高さしかなくなったものの、残った部分を頂上まで上り、周囲の平原を見渡すことが可能なようだ。個人が撮影した360度ビューでその眺めを確認することができる。そして旅行客達の署名や落書きも。文字、日付、名前。ほとんどどのレンガにも何かが書かれている。歴史的建造物。千年前の人々がシルクロードを西へ東へ渡ったように、現在の人々もまた西へ東へ移動する。バザールは現在まで続く伝統のひとつだ。塔の落書きはずっと放置されるのだろうか。そして、新たに訪れる人たちも、前の人たちがやったように何かを書き残し。いつかそれらは古くから続く伝統になり。伝統だからと言いながら未来の人たちもまた何かを書き続ける。いつの間にか「塔への正統な署名の方法」が作られる。誘拐結婚をする人々が正式なイスラム教式結婚式を挙げるように。もっとも彼らにとっては誘拐結婚そのものが正統な結婚方法なのだ。そして誰も彼もが伝統だからと言い、塔に落書きを続け、毎年1万人以上の女性が誘拐され続ける。

中断

再開

昨日書いた内容は、後半になるにつれて読みにくくなっていったようだ。恐らく途中でバテてきたのだろう。体力が無い。単純な間違いを少々直し、「キルギス建国の英雄」という部分を付け加えたのだが、これは事実関係を確認していない。はたしてマナスは、伝説の中であれ、キルギス人の国を作った人物なのだろうか。キルギスの人々には長らく文字というものが無かった。イスラム王朝のコーカンド・ハン国の頃、19世紀ごろにアラビア文字を使用し始めたそうなのだが、同様にイスラム王朝であったカラハン朝期にはアラビア文字は伝わらなかったのだろうか。ともかく、彼らには文字が無かったため『マナス』は語り部(マナスチ)たちによって、語り継がれてきた。

そして今は無きバラサグンの北西6~7kmのところには「アク・ベシム」と呼ばれる遺跡が存在する。ブラナの塔からさらに400年ほどさかのぼる。西突厥の首都、2つあった首都のうちの1つ。この都市はスイヤーブという名前だった。インドを目指す玄奘三蔵がこの地を訪れた。発掘された住居跡が周囲に点在している。スイヤーブとバラサグン。ごく近くに存在したこの2つの都の関係はどのようなものだったのだろう。まず先にスイヤーブがあり、それが放棄された後にバラサグンが出来たのか、それともこの2つが同時に都市として存在した時期があり、スイヤーブが先に廃れたということなのか。ともかく、6世紀ごろ栄えたスイヤーブはその後放棄され、10世紀にはバラサグンが発展したがそれもまた後に放棄された。現在は2つの遺跡の北東にあるトクマクが、こちらは発展しているとは言い難いが、存在している。放棄された古代都市と現在まで残り続ける都市は何が違ったのだろうか。国土の南西部に位置するキルギス第二位の規模を持つオシは3000年の歴史があると言われる。

長い歴史を経て今も残るもの。キルギスの伝統楽器コムズ。この楽器もシルクロードを通じてこの地に伝わったのだろう。

www.youtube.com弦楽器のコムズは振り付けのような多彩な奏法を持つ。音だけでなく、演奏の動作でも何かを表現しようとした、そのような人、あるいは人々がこの地域にいたのだ。その人はどこかの都市に住む定住者だったのだろうか。それとも遊牧生活を送り、テントに暮らし、放牧の合間に楽器を演奏したりしたのだろうか。部族の集まりではテントの中で食事を囲み、動物の乳から造ったお酒を飲み、楽器を演奏し、踊ったりしたのだろうか。
そして彼らには弦楽器以外にも様々な楽器があるのだが、コムズと同じ名前を持つ楽器の1つに口琴がある。鉄製の口琴テミル・コムズと木製の口琴ジガチ・コムズ。アジアの広範囲にわたって存在する口琴。地域によって、様々な形態のバリエーションが存在するのだが、ジガチ・コムズはアイヌの人々の用いる口琴ムックリ」に驚くほど似ている。口琴のタイプ別分布などについてはこちらのPDFが詳しい。
世界の口琴とムックリ
同じ方の書いた論文では、最古の口琴についての現時点での研究結果がまとめられている。
アジアの発掘口琴チェックリスト(1):薄板状の口琴(1)

いずれにせよ、紀元前のアジアのどこかで、口腔内で音を共鳴させ、何か違った音を出すというアイディアが生まれたということは確かなようだ。このアイディアを楽器を使用せずに実現すればホーミーやホーメイになる。