監督の名前は、確かネメシュ・ラーズロー、ラースローだった。『with a little patient』patienceだった。『アビ・ヴァールブルク記憶の迷宮』などの著者のtweetで以前見かけて、YouTube でその短編映画を見た。後半、窓の外に世界が一気に開けてゆく。突然その場所に放り出されるような感覚があり。そこは恐ろしい場所だった。

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サウルの息子』でも浅い被写界深度と人物のアップのため、見渡すことのできなかった画面が、最後カメラが人物を離れ森の景色を映しだす。

同じようなカメラの動きだけど、感じる印象は異なる。『with a little patience 』では、鑑賞者をその場に投げ込む動作が、『サウルの息子では』縛り付けられていた場所からの解放する動きになる。

解放の契機となる少年、彼は探していた息子でなくても構わない。あの瞬間あの場所に現れた少年は一つの徴しであって、それは神が、ユダヤ人たちの神が存在するということを証している。息子を正しく埋葬する、ある意味でそれは息子を、無意味な死から救い出すことなのだが、最終的には彼らの神の存在を見出すことで、殺されたユダヤ人全てを救い出すことになる。彼らには天国があることがわかったのだから。


という風に『サウルの息子』を観て、スゴイ、ヤバイと思ったのだけど、同時に虚しくもあった。



スゴイ、ヤバイというのは嘘だった。嘘だったというよりなんというか、取ってつけたような感想だ。本当はどうだったのか。劇場公開時に観たその映画の感想は。いわゆる感想というものがあったわけではなくて、ただ今見たばかりの映画について考え事をしていたような気もする。虚しかったのは映画ラストの救いは、実際にはもたらされなかったということ。

重力や真空は確かに存在するが、恩寵は存在しない。それはフィクションの中にしかない。タンジールのバロウズ


どこからバロウズが出てきたのやら。