チョコミント食べたくなる

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Google マップ


向こうにとんがり屋根の「ヴィル門」が見えてきましたね、あれ14世紀に建てられたそうですよ。今の季節だとほら、門に蔦が絡まって、なんというか中世感、あっ、セグウェイだ。タリンの旧市街をセグウェイで走るのって、めっちゃくちゃ楽しそう。さてとヴィル門に到着。近くで見ると結構大きいでしょ。上のほうの小窓に何かいますね、鳩かな。

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さあ、いよいよここからタリンの旧市街。この道、ヴィル通りって言うんですが、向こうに塔があるの見えますか。とりあえずあそこに行きます。えっ、マックがある?そうですね、あの窓のアーチのところ、Mのマークになってるんですよ。まあそれはどうでもいいでしょう。それにしても人が多いです、この時期はスリが多いから気をつけて下さいね。

おぉ、またセグウェイ集団だ。あ、何か変な人がいる。KKKの赤バージョンみたいな人たち。「Museum of Medieval Torture Instruments」って看板に書いてあります。中世の拷問器具博物館ってことみたい。あの人たち処刑人のコスプレ、ドラクエにあんなのいましたよね。

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さっきの塔、これがタリンの旧市庁舎で、1404年に建てられたそうです。その頃のタリンはハンザ同盟都市として栄えていて、ドイツ騎士団支部?のリヴォニア騎士団が支配していたとか何とか。よくわかんないけど、こんな人たちみたい。

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で、今いるここがラエコヤ広場って言うところで、ここからも尖った塔の先端がいくつか、あれは教会の尖塔なんですが、見ての通りこの町には教会がいっぱいあって。いちいち全部見て回る時間は無いので、一旦北のほうにある聖オレフ教会に行きます。夏の間は塔に登って町を見渡すことが出来るんですよ。

聖オレフ教会の尖塔が見えてきた。チョコミントアイス食べたくなるような色してる。ちょっとチョコ多目かな。

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あの塔って、もともとは159mもあったらしいんです。でも雷が何回も落ちるから、焼け落ちては建て直しを繰り返して、今では124mということらしくって。あっ、着いた。じゃあいってらっしゃい、階段長いから頑張ってくださいね。

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グーグルストリートビューを見ながらこんなものを書いていた。こんな事をしている場合ではなかった。本当はエストニア西部にあるサーレマー島のサルメ以南、島の突端部のことを書こうと思ったのだった。しかし「エストニアってどんな国だ」と思って調べたらタリンだった。タリンは凄いところだった。何もかもがファンタジーの世界のようで、向こうにはトームキリク、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂、聖ニコラス教会が見える。トームキリクとアレクサンドルの間に見える茶色い塔は「のっぽのヘルマン」という。「太っちょマルガレータの塔」なんてのもある。

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これだ。

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他にもこんな場所や

Google マップ

www.youtube.comこんな所もある。最高すぎる、タリン。

読書感想文 滝口悠生『茄子の輝き』_2

再開

そうだ、会話が凄く良かったのだった。78ページで市瀬と鶴上が会話している場面。市瀬はまた千絵ちゃんのことを熱く語っている。

鶴上さん僕はね、そういう惚れたとか腫れたとかそういうことを言ってんじゃないんだよ。ないんですよ。いいかい、いいですか、千絵ちゃんが、そこにいる。

そして会話からの場面転換、スイッチする。照明の色が変わったかのように、暖色から寒色へ。この切り替わりが心地よい。ここに快感がある。

『茄子の輝き』の初めの部分、後からわかる事だが、5年前の市瀬が職場の夢を見ている。その夢は記憶としてではなく、ひとつの体験として市瀬のところにやってくる。その時市瀬は過去を思い出しているのではなく、過去の場面そのもの(あるいはそれらの寄り集まったもの)がその場所に存在している。
そんな事を考えていて、吉田ヨウヘイgroupの『ブールヴァード』を思い出した。忘れていた出来事が蘇ってくるとか何とか、そんな類のことが歌われていた記憶があったのだが、聴きなおしてみたらちょっと思っていたのと違った。

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それに、申し訳ないがこの曲自体もこの数年でずいぶん色褪せてしまった。好きなバンドではあり、twitterのアカウントを見ると今新譜のレコーディングをしているようなので、期待したい。

中断
再開

会わなくなってから、もうずいぶん時間がたつ人から連絡が来る。会わなかった間のことをその人は話して聞かせてくれる。自分の知らない場所で、知らない生活をその人が暮らしていたことを知る。
もしかしたら、その瞬間に私の知っていたその人が本当に過去の人になってしまうのかもしれない。あの人はあの人のまま、変わらないところもたくさんあるのに、それでもいくらかは違う人だ。だから私は、私の知っていたあの人と再会することは決して出来ない。もし再会があるとすれば、その相手はかつてあの人だった、誰か。もちろん相手の変わった部分を無視して、変わらないところだけを見るなら、安心して「あの時のあの人と再会した」と言うことも出来るだろうけど、変わった部分を意図的に無視するならその言葉は偽りだし、単に気づかなかったのならナイーブ過ぎる。

『街々、女たち』
市瀬は終電を逃した女性を家に泊める。女はすぐにベッドに倒れこみ、眠り、市瀬は酒を飲みながら女に語りかける。というか内的独白が途中で語りに切り替わり、いつの間にか目を覚ましていたオノ(というのが女性の名前)がその語りに答える。それで市瀬の独白が続いていた部分でも、実際にはそれと違った形で声に出して喋っていたことがわかる。女の名前のイントネーションは「斧」に近い。
そして市瀬はたとえば豪徳寺に行き、そして本当に豪徳寺にいったのかも知れず、たとえば宇都宮に行き、実際には宇都宮には行かず、そして世田谷線が通り過ぎるのと、その中にいた一人の女性と目が合った事は、それもたとえばの話しだったのかもしれない。

『今日の記念』
運転免許の試験所や免許更新センターで講習をしてくれる方の話し方がとてもこなれていて、洗練され面白い、ということは多くの人が共感するところだと思う。そこにはプロフェッショナルな語りが存在する。
コラージュで作られたアルバムの姿が一変する瞬間が面白い。そして千絵ちゃんからの電話。千絵ちゃんは5年間の間ですっかり過去になってしまった。だからあのアルバムに加えられた変更は、一方では千絵ちゃんのその後を、市瀬の見なかった千絵ちゃんを、見たことにし、自身の過去に付け加える作業であり、同時にその姿を固定化し、決定的な過去として切断する作業となった。市瀬の証明写真とラストシーンのデジカメの写真にも何らかの意味を見出すことは可能だろうとは思うものの、特に思いつくことは無い。

『文化』
居酒屋のようなところに入った客がビールと料理を注文する。次第に場面は居酒屋を抜け出し、高架下の川に入り(誰が?)、スタバでコーヒーを頼むとそこに別の語りが混線してくる。そこは面白いのだけど、そのあと視点が居酒屋に戻ってくると、それまでの混乱した場面がキレイに片付く、というか回収されてしまって面白くない。たとえばその後は、後から入ってきた相席の男性視点でしれっと元の居酒屋に帰還するとかでは駄目だったのか。とはいえそれはそれでわざとらしい感じがしそうだし、あのごちゃごちゃした場面があってもコラージュっぽくならずに、ちゃんとまとまっているように見えるのは実はけっこう凄いことなのではないだろうか。

ポルシウンクラ?

スロバキア

ニトラ県にある都市ノヴェー・ザームキ。ハンガリー語ではエールシェクーヴァールと呼ばれるらしい。中心部を六角形の道路が走っている。

Google マップ


1500年中ごろからここには要塞が存在した。

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そのため都市の紋章も星型要塞をかたどったものだ。

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この六角形の中央には広場が今も存在し、その東側にカトリックの教会が建っている。最初に立てられたのが1584年ごろ。その後、何度も再建されたため、この建物は当時のものではない。

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他には何も無い。もちろん本当はそんなことは無いのだが、例えば観光客が見て楽しめるような物は無い。ノヴェー・ザームキのプロモーション映像的なものも見つけたのだけど、それがこの都市の何も無さを表していると思う。

www.youtube.com道路を走る車。夜が明けるとカメラは中央広場の教会を映し出し、音楽はものものしく、次第にやかましくなっていく。スケートボーダー達の姿を捉えたカメラは「Termálne kúpalisko Štrand Emila Tatárika」というプールに移動し、その後の主役はもはや都市ではなくビキニを着た女性の尻である。

https://youtu.be/dIdj9asK-O4?t=348

この動画のハイライト。

だけどそんな事の何が問題だろう。歴史的なものがほとんど姿を消してしまっても、この町には大勢の人が暮らしている。それはグーグルストリートビューをいくら眺めても見えてはこない。現在のノヴェー・ザームキは過去の要塞の壁の向こうまで広がっている。広場ではPorciunkulaという市場か何かが開催され、屋台と人々でにぎわう。今年は7月27日から29日の開催。もうすぐだ。

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カリブの要塞から凶女のところまで

オールド・サン・フアンの西には広々とした原っぱがあって、空にはいくつかの凧が揚がっているのが見える。石造りのベンチには現地の人だろうか、サングラスをかけた夫婦がその景色を眺めている。隣には凧揚げの準備をしている親子。天気のいい日には大勢の人たちがこの草原で思い思いの時間を過ごす。海からの風を受けて凧が揚がっていく。草原の北には墓地があるのだが、ここから見えるのは壁だけだ。西の岬にある要塞から東の町まで壁が延びている。墓地は最初にスペイン人たちがこの地にやってきた時に作られたのだろうか。それならば要塞と同じく400~500年の歴史があることになる。古い墓地だ。原っぱの中央を一本の道が、まっすぐサン・フェリペ・デル・モロ要塞へと続いている。

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プエルトリコに最初のスペイン人が入植したのが1508年。サン・フアンの町は発展し、34年には現在の州知事官邸となっている城塞ラ・フォルタレサが、39年にはサン・フェリペ・デル・モロ要塞の建築が開始された。1634年にはサン・フアンの北東に小さな砦が建てられた。度重なる他国からの攻撃に対抗するため、サン・フアンの町と南米植民地を守るために、より強い防衛能力が必要だったのだろう。この砦は後に拡張され1780年頃サン・クリストバル要塞となった。また、島の東端にはサン・ジェロニモ要塞があり、これらの要塞に守られてサン・フアンの人々は生活していた。

サン・フェリペ・デル・モロ要塞、通称エル・モロ要塞。要塞内はどこも色褪せた、汚れた壁に囲まれている。400年前の人たちはどうやってこの要塞を建てたのだろう。この石はどこから。職人たちは毎日サン・フアンからこの島の突端までやってきて、建設作業を行い、夜になると町に帰っていったのだろうか。それとも、建設中の要塞内にとどまって、あるいは近くに彼らのためのキャンプや小屋を作って、もっぱらそこで暮らしたのだろうか。とはいえ、サン・フアンまでの距離もせいぜい数百メートル、毎日行き来したとしても、それほどの負担にはならないだろう。要塞には3つの旗が立っている。アメリカの旗。プエルトリコの、アメリカの一自治州としての旗、これはキューバの国旗と色使いが逆になっていて兄弟のよう。そして、1785年まで使用されていた旗。Burgundy Crossというこの古い旗。名前のとおりもともとはフランス東部のブルゴーニュで使われていた物なのだそうだ。なぜブルゴーニュ。私は歴史を知らない。当時のスペインは「スペイン・ハプスブルク家」が支配する時代だった。

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1469年にカスティーリャ王国のイサベルとアラゴン王国のフェルナンドが結婚。1474年にイサベルの兄エンリケ4世が亡くなると、イサベルとフェルナンドは共同でカスティーリャの王位に就いた。1479年にはフェルナンドの父フアン2世が没し、カスティーリャ-アラゴン連合王国が成立。ここからスペイン王国が始まる。同年、2人の間に女の子が生まれる。フアナと名づけれられたこの子供は1496年にブルゴーニュ公フィリップと結婚することとなる。ここにブルゴーニュ、つまりバーガンディ(Burgundy)が出てくる。

フアナは夫のフィリップが亡くなると、精神に不調をきたし、スペイン、トルデシリャスのサンタ・クララ修道院に幽閉されることとなる。

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フアナは「La Loca」と呼ばれた。

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レンガ壁の家々が並ぶ石畳の道、アロンソカスティージョソロルサノ通りを行く。突き当たりに、サンタ・クララ修道院の入り口が――ここがその正面口なのかどうかわからないが――ある。フアナはここの一角に幽閉され、その後の生涯をこの修道院で――退位を拒み続けたため――女王として過ごした。
襤褸をまとった狂気の女王。あるいは政治的な思惑のため幽閉生活を過ごすこととなった不幸な女性。後に神聖ローマ皇帝となった息子のカルロスは彼女の元を訪れ続けた。それは母親を愛していたためなのか、戦争に明け暮れる日々の、遠征帰りのつかの間の休息のためだったのか、あるいは女王を恐れていたからなのか。ともあれカルロスは1655年に母が亡くなると、その後自らもスペイン王と神聖ローマ皇帝を退位した。皇位、戦争、政治、そして母からも離れ、修道院に余生を過ごした。まるで母が死んでしまった以上、自身が背負ってきた重荷に耐える理由はもう無くなったとでも言うかのように。しかし通風の痛みだけは律儀にも彼に最後まで付き添ったのだった。

サンタ・クララ修道院ポルトガルにも存在する。コインブラのサンラ・クララ修道院。ここにはポルトガル王ディニス1世の妻、イザベルが埋葬されている。イザベルは敬虔なカトリックで貧しい人々や病人への奉仕にその身を捧げたのだった。彼女はその死後300年のほど後、1625年にローマ教皇により列聖された。サンタ・クララ修道院。一方には聖女が、もう一方には凶女が眠っている。

その髪型は

www.youtube.comJay Somというアメリカのミュージシャン。いいなあ。

それはそうと、アメリカのラスベガスで開催された格闘ゲームの祭典「EVO 2017」。と言っても全然詳しくないのだけれど。ニコニコ動画ストリートファイター5の決勝戦動画を見て、日本人の選手が優勝したと知ったのだった。ラスベガスのマンダレイ・ベイ、会場はこのホテル内の屋内アリーナ。

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人の数が凄い。このホテルのすぐ隣には高速道路が走り、ホテルの反対側には国際空港がある。世界中から大勢の人たちが試合を見に集まる。スト5で優勝した、ときど選手はインタビューに答えて「Fighting game is something so great」と言っていた。これはその後解説の人が何度か口にしたように「Fighting game is great」ということではなく、格闘ゲームをプレイし、友人やライバルたちと対戦したり、練習したりする。技術を磨き、ゲーム内の様々な挙動を理解し、勝ったり負けたり、観客たちがそれに歓声を上げ、解説者は泣き、負けた者もまた時に涙を流し、勝者は喜びのあるいは誇らしげな表情を見せる。こういった格闘ゲームをすることに付随する全てのことの中に「何か」すばらしい瞬間が存在している、ということを言いたかったのではないかと思う。少なくとも私は試合を見ている時、そう感じた。これらのこと全体がすばらしい。

負けはしたものの、Punk選手も凄かった。ほんの1年くらい前までは高校生で、まだ広く名前を知られているとはいえなかった人物が、卒業を期に本格的にeSportsの世界に参入し、あっという間に注目される存在になる。そしてプロチームに所属し、昨年のEvo 2016には出場もしていなかったのに、その1年後の大会においては、すでに世界最高のプレイヤーの1人と見なされるまでになっている。とてもドラマチックだ。

それにしても豪鬼の髪型は一体……口ひげやあごの前の方は剃っていて、それ以外の部分は残しているということなのだろうか。それならば、ほうっておいたらあんなモジャモジャになってしまったというわけではなく、完全に意図してあの髪型にしているということだ。ばっちりライオンスタイルをキメて戦いに向かう豪鬼

https://game.capcom.com/cfn/sfv/assets/def/img/fid_body/Lsize/fid_body_gok.png?1498008905

いったい何なんだろう

Youtubeで知った音楽家。桃山晴衣という方、9年前に亡くなってしまっているのだが、その三味線と歌が良い。

https://youtu.be/BIu31uF-zwY?t=342

父親が作曲した曲とのこと。これはかなり変り種で、タイトルが涅槃を意味することもあってか、インド風のニュアンスがあり、一の糸の音をドローンのように使っているところも面白いのだが、何よりこの映像が良い。断続的にノイズが走る画面。和服を着て正座で演奏する桃山。その前に置かれた楽譜台、背後の障子。音楽が流れていても、画面には静けさがある。ここまでカッコいいのはなかなか無い。

https://youtu.be/BIu31uF-zwY?t=209

同じ動画の別の場面だが、喋っているところも凄くいい。まず声が良い。映像も、ほぼ中心に座っている桃山と周囲を踊りながら回る男性たち。映画の一場面のように出来上がっている。話し方も良い。

すごく、色々、やってみて、一番、今大きく思ってるのは、あたしたちの歌っていうのはいったい何なんだろう、って事。全然とりとめがなくなっちゃって拡散しちゃっててね、これは何にも言える事なんだけども。あたしたちの歌っていうのはどこ行っちゃったのかなと。誰も歌わなくなっちゃてるし。それは、あの不思議なのね。地方行ってもね、んー、五十代、から、上の人はね、歌えるのみんな。もっと年寄りはもっと上手いのね。ところが、あの、木曽なんかの、木曽節みたいあんな良い唄を、その土地で持っていながら若い子は全然歌えないの。歌える人がとっても少なくなってる。例えば高度成長に入ってからもうバタッと地方でも都会でも、駄目になっちゃってる。

 「いったい何なんだろう」と「もっと上手いのね」のところが好き。「な」の発音の仕方も何とも良い。

読書感想文 滝口悠生『茄子の輝き』_1

記憶は、当の出来事とは別のものなのだ。思い返す時点ですでに何らかの加工、編集が加えられている。何度も繰り返し思い出すうちに、そうではなかったものになってゆく。でも、主観的には、その記憶の出来事は確かに起こったことだと感じる。私がそれを見た、経験した。あの人はそのときそこにいた。記憶はしだいに薄れてもいく。そしてその事が自分でもわかる。ああ、忘れちゃったな。当時の記録、日記や写真を頼りに、それを繋ぎとめようとするも、記録自体によって記憶はまた変形を被る。記憶においてはその変形の度合いが距離だ。忘れなければ、どんな昔のことでもすぐそばにある。だけど、忘れてしまったら。記憶が遠ざかっていくのがわかる。写真をみて「あの時のままだ」と思う。だけどあの時のままではない。そうであれば、昔の写真はあんなに寂しい、胸苦しいような感覚をあたえはしないだろう。あの時に戻りたいわけではない。ただ、確かに経験したことや出来事が、何もかも少しずつ失われていく喪失感に抗いたい。何もかもが去って行く。私の人生が無かったことになる。残りものの半分は作り物。

こうやって、本を読みながら思いついたことを書き付けていって、最後まで読んだらその書籍に関する基本的な情報を付け加え読書感想文のかわりとする。そういうのはどうだろう、と思ったのだった。上に書かれた物は「思いついたこと」というよりは、どこかで聞きかじったことの未熟な再構成にすぎず、本当に自分で思いついたことなんて無いのだけれど、それでも構わない。自分自身で語ることの難しさ。自身の経験を利用して作品を作るということは良い。それはどんなにありふれた事であっても、オリジナルでありうるのだから。今は3つ目のお話しを読んでいる。家族のアルバムのような作品だと思う。写真のような。お別れのときの電車を見送るような。それらはもう過去になってしまい、ますます遠ざかって行きつつある、という感覚が流れている。

中断
再開

3つ目のお話しは『高田馬場の馬鹿』、面白いんだか面白くないんだかわからないけど、そんなタイトル。この本を短編集だと思っていたのだけど、ここでカルタ企画が再登場、連作短編だったのか!と驚く。ということはこの市瀬という男、別れた妻の写真を、昔の旅行先の風景写真とコラージュして、それを眺めて過ごしたりしている人物なのだな。この事は忘れないでおこう。本人はカルタ企画の後輩である「千絵ちゃん」に対する偏愛をおかしな事ではないと言い張っているが、ふむ。

カルタ企画とその仲間たちの再登場により『お茶の時間』で描かれた場所や人物が再度描かれなおされる。それを読む時の「あー、そうだったそうだった」という感覚。これが良い。あらかじめ自分も知っていることを確認しなおすような、すでにこの物語の場面が私の記憶にもなっている。「これはベンジャミンです」。そうだ、市瀬もこの植物を育てていたんだった。(どうでも良いけど「ベンジャミン」と聞くとクエンティン・コンプソンの弟を思い出すし、「そうだ」と書いた事でクエンティンの父親のことも思い出したのだった)
シュティフターの『水晶』を思い出す。その小説は簡単に言うと、小さな男の子と女の子が山で遭難するお話なのだが、小説の前半部分はほとんどお話しの舞台となるドイツだかどこかの情景描写に費やされる。後半になるとようやく子供たちが山の向こうの祖父母の家に出かける。帰り道、雪の降る夜、子供たちが家に帰る道のりが描写されると、読者にはその道が間違った道であることがすでにわかっている。読者はその場所を知っている。そしてその時の感覚が「あー、そうだったそうだった」に近い。違う。こちらは状況が状況だけにもっと深刻なものだった。だけどその「私はこれを知っている」という感じは似ている。

空いた時間にインターネットで著者のインタビューを読んだりしていたら、もともとこの人は「記憶」の扱い方や描き方に非常に意識的な方だった。このメモの最初に書いたものはだから、以前これらのインタビューなどを見たことがあって(それはこの著者が芥川賞を受賞したときのことだったと思う)、それが思い出されるというのでもなく表れたものだったのだろう。それならまあまるっきり見当違いのおかしなことを書いたことにはならないだろうから、まあいい。

『茄子の輝き』は急に入り組んだつくりになっていて、現在の市瀬と5年前の市瀬が混ざった状態で喋る。5年前の市瀬は先週の事や3年前の事を思い出し、喋ったりする。現在の市瀬は5年前の市瀬を思い出したりする。問題は現在の市瀬が「5年前の自分が3年前の出来事を回想している」場面を思い出しているのか、それとも時々5年前の市瀬自身が語り手として登場しているだけなのか、ということだ。これがどちらであるかはとても大事で、それによってお話しの内容は変わらないが、この作品での「記憶」の扱われ方や、市瀬という人物が変わって見えてくる。そこが気になって仕方が無く、内容に集中できなくなってしまった。それはそれとしてこういった書き方は、この著者の本領発揮というか、凄いところだ。リスペクタブルである。

しかし、

私は千絵ちゃんの味覚そのものになって、千絵ちゃんの舌の上でほぐれる茄子の実にもなって、皮を引き剥がされ、上顎に押し付けられて、舌先でくずされていく。やがて千々に噛み砕かれて、喉を通ってその奥へとすべり落ちていく。

 である。やっぱり危ないやつじゃないか!この先、何か破滅的な事件が起こったり、突然この物語がサイコホラーの様相を呈してくる可能性もある。不穏だ。それは冗談にしても、この人物がこのような思考を生きていることを忘れないでおこう、ふむ。

長くなってきたからひとまずここまでで一区切りにしよう。残りは読んだら。

中断