ピアソン通り。イギリス、バークシャー州ソニング上空でドローンが一回転

ピアソン通りをドローンが上昇してゆく。バークシャー州のソニングという町で。ソニングはイギリスの町、ロンドンから西へ40kmほどだろうか。ソニングからさらに西へ4kmほどの所にはレディングがあり、その町のテムズ川沿いでは毎年大規模な音楽フェスが開催されている。

通りから上空へ浮かび上がるドローンのカメラに町の様子がうつされる。白い壁の家から上昇して、茶色い瓦屋根とレンガの煙突。空に上がったドローンから見える映像、遠くのほうで煙が上がっている。バークシャー州スポーツクラブの向こう、レディングホッケークラブの辺りだ。白煙があがるその周囲に広がっているグラウンドには、この映像では見えにくいが様々なスポーツのコートが、クリケット、テニス、サッカー、ホッケー、ラグビーのコートがある。カメラが時計回りに旋回すると遠くには湖、キャバーシャムレイクスが見えてくる。湖の手前をテムズ川が流れているはずだ。ピアソン通りが左カーブで曲がっていて、カーブを曲がるとその道路はソニングレーンと名前を変える。画面中央を四角い砦のような建物が横切ってゆく。聖アンドリュー教会。

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教会の向こうに今度はちゃんとテムズ川が見える。テムズストリートを車が走ってゆく。東には畑が広がっている。その向こうにはチャービルという町があるはずで、だけどここからはそこまでは見えない。テニスコートが見えてくる。近くにプールもある。白煙が再び見えてきたところで映像は切り替わり、眼下の家々を撮影しながらドローンはピアソン通りへ降りてくる。

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観てきた。KAAT × 高山明 / Port B『ワーグナー・プロジェクト』 ―「ニュルンベルクのマイスタージンガー」―

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超大型の台風が来ているらしい。天気図で見るとまだ随分遠くにいるはずなのに、すでに風が強い。台風21号はランという名前、台風委員会というところが予め用意しておいた名前から、それぞれの台風には何かしらの名前がつけられることになっているのだそうな。ラン、Run、蘭、乱?正解は「嵐」。そういうわけで嵐以外の何者でもないというようなこの台風が近づくなか、床がビチャビチャに濡れた電車に乗ってKAAT神奈川芸術劇場に向かっている。PortBの「ワーグナー・プロジェクト」見れるとしたら今日しかなくて、しかたがない。

台風21号の影響により、本日22日(日)から23日(月)にかけて、大雨や強風が予想されております。大雨や強風に伴い、安全運行確保のため東急線の一部または全線において、運転見合わせや運転速度を落とした運行になる場合があり、列車内および駅の混雑によっては通常よりも所要時間が多くかかります。お客さまにはご迷惑をお掛けしますが、お時間に余裕をもってお出掛けくださいますようお願いいたします。

横浜駅で車内はガラ空きになる。日本大通り駅で下車する。エスカレーターに乗って外まで出てみるとこちらの方が雨足が弱く、風もそれほど吹いていない。KAATのエントランスに入ると階段下のベンチに一人座っている人がいて入り口の自動ドアに警備員がいた以外には誰もおらず心配になった。五階に上がって当日券を買って、リストバンドをつけて中に入った。鉄パイプ、単管というのだったか、単管、短歌、今短歌のワークショップが開催されている。単管、短歌、タイカレー。タイカレーが売ってたので買って食った。美味いし辛い。

出入りが自由なので、ちょっと一休みと思って大ホールから出ると3階あたりのベンチで、先ほどまで別のワークショップをしていた人が誰かと話をしている。出入りが自由で、ホールの中も自由に歩き回れる。それで出演者、と言っていいかわからないけど、も外に出たりして、そうなるとこの場合の「劇場」はどこからどこまでということになるのだろう。演じる役や決められた台詞の無い出演者たちは、ホールの外にいても、変わらず出演者のままに見える。普通の演劇なら、舞台の外で見かける出演者は○○役の××さん、というように芝居の中の人物とは明確に別人と分かるのだけど、「ワーグナー・プロジェクト」ではそこが曖昧になっている。雨の中信号待ちをしている人は、この劇の観客ではないだろうか。実際にはそうでないとしても。受付の人たちは観客、出演者だろうか。観客の中にも出演者と同じように熱心にメモを取る人がいた。彼らは完全に「観客」だとは言い切れないような感覚。他の観客をも出演者の一部のように見てしまう私。

あるいは登場人物と呼べば良いだろうか。

周りでの会話から不意に思いもしない人間関係が明らかになることもある。ライブをする人たちは、サイファーと言ったか、彼らがやって来て出番を待っている。演出家が彼らに近づき段取りを説明する。誰か2人の人がサイファーについて話している。新橋をはじめ各地で毎週フリースタイルラップやMCバトルなどをしている人たちがいて、今日ここに来ているサイファーたちはそれぞれ別のところから来ているとかなんとか。

ワークショップが続く中、音楽が流れなし崩し的にライブに移行していくその様子が面白かった。準備で動き回るスタッフたち。カメラマン。MCバトルは実際に見ると改めて即興であんな風に言葉を繰り出していくことが出来る彼らをすごいと思ったし、日々ストリートで、本物のストリートというか道端で彼らが技術を磨いているという事、今まで見たこともないそれらの集まりの様子がイメージされて何というか凄い。演出助手?の方が道端でラップをしている彼らに声をかけて、今日のこの舞台に出演してもらったのだという。なんかそんな会話がちょっと聞こえた。

これは出来るだけ長い時間をとって、ホールをうろうろしながら見るのが良いと思う。そうすることでこの場所の登場人物、出演者と観客、それぞれの配置や動き、関係などが見えてくる時があって、それらこの場所で浮かび上がるドラマや背景といったこと全てが、この上演のプロセスの一部なのだと思うから。それはホールの中だけの出来事に限らないし、実際ライブ途中で外に出た時、そこでワークショップの続きが行われているらしい様子も見えた、観客一人一人の中でそういった何かが形をとって浮かび上がる限り、この舞台の上演空間はあの大ホールを超えて広がっていくことが出来る。ということを考えた。

ところで台風は今の所心配したほどひどくはなくて、もしや帰れなくなるかもと思っていたけど、無事家に着きそう。

KAATの外壁に掲示されていた秋冬の上演予定に『アダムス・ファミリー』や『三月の5日間』とかあって気になったけれど、一番「ほおぉ」と思ったのは12/22-24に上演される『舞台 文豪ストレイドッグス』だった。クリスマス公演か。

Bozo the clown

 

 

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サーカスの動画を探してみていた流れで、クラウンについても動画を見たり調べたりして過ごしていたところ知る事になったのが、このBozoというクラウン。右の人です。ものすごく顔が白いし、口と鼻が赤くて、髪の毛がえらい事になっている彼はThe world's most famous clownつまり世界一有名なクラウンなのだそうで、それは彼が出演したアニメのタイトルでもあって、多分日本ではそれほど有名ではないしそもそも有名だったのも昔の事で、今では世界一有名なクラウンは多分ロナルド・マクドナルド

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だろうし、右の人です、何というか何が言いたいのか分からないけれど。

 

しかしこのBozoの見た目のインパクトは現在でもトップクラスで、この強烈なルックスには尊敬の念すら抱いてしまう。

比較してみます。

先程も出たロナルドさんがこれ。

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こちらがBozo

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全てにおいてロナルドよりもBozoの方がよりボリュームアップしていますね。

 

これはジョーカー

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こっちがBozo、左の人です

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Bozoのほうが何となく危険なやつに見えますね。この写真だけかもしれないけれど。この写真の人は最初にBozoを演じたPinto Colvigという人だそうで。

 

これがペニーワイズの新しいほう

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古いほう

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でBozo

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ペニーワイズの髪型やメイクは完全にBozoインスパイアですね。Bozoのほうが風船もカラフル。



これはQ太郎

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これがBozo

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あら、似てるかと思ったけどそんなに似てない。マイルドな色合いのQ太郎に比べてBozoはビビッドで、毛も多いし、眉毛もあるし、何といってもBozoの目と鼻の輝きが素晴らしいと思いますね。

 

と言うわけでBozoを知った後で他の有名なクラウンたちを見ると、どれもこれもBozoの劣化コピーか簡易バージョンのように見えてしまわないでしょうか。何しろBozoの歴史は古い。Bozoが誕生したのは1946年、キャピトル・レコードが発売した「Bozo at The Circus」という絵本とレコードがセットになった作品での事。

www.youtube.comその後アニメーションやテレビ番組が作られ、フランチャイズで世界中にローカルなBozoショーが生み出されるにいたったという事なのだそうで。

 

サーカスを見に行きたい

何だか急にサーカスを見たいと思って調べたのだけど、サーカスっていつでも見れるものではないようで、来年2月にシルク・ドゥ・ソレイユが来日公演をするようだけど今はやってないため子供の頃にサーカスを見た話しをでっちあげようとしていたら、パソコンがフリーズして全部消えてしまった。まあいいや。シルク・ドゥ・ソレイユには元オリンピック選手みたいなアスリートが何人もいるという事を初めて知った。すごい事だ。その一方で世界中に移動生活をしながらトレーラーハウスで暮らし、各地でテントを立てては公演を行っているサーカス団がある。公園や広い空き地に何台ものトラックがやってきて、始めにテントを支える支柱を立てる。みんなでロープを引っ張ったり、あるいは車や重機で牽引して。昔の映像ではゾウにロープを引っ張らせているものもあった。今でもゾウを使って支柱立てをしているサーカスがどこかにはあるのだろうか。支柱が立ちテントが張られるとステージと客席が用意され、観客たちがやってきてサーカスが始まる。小さい子供がわたあめを持って、席に着く。燕尾服を着た進行役の人が演目の説明をする。あるいは始めに出演者たちが出てきてステージを回り来場者たちに挨拶をして回ったりするだろうか。サーカスの様子を映した映像ではステージの照明によって浮かび上がる観客、とりわけ子供たちの表情が映されることがしばしばあり、その表情がとても良い。火の輪くぐりやジャグリング、綱渡りや空中ブランコ。よくよく考えてみると映像では見たことがあっても何一つ実際に目にしたものはないのだった。

シルク・ドゥ・ソレイユのような大きなサーカスが世界中で公演を行い、大勢のスタッフが巨大なテントを設営し複雑なステージを作り上げ、今月はこの国、来月はあの国とツアーをして回る。

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この動画をあげている人は、シルク・ドゥ・ソレイユのツアーメンバーで、サーカスを支える裏方として世界中を回っている一人のようだ。テント設営スタッフの作業はしっかりスケジューリングされていて素早い。サイドポールを立ち上げるスムーズさ。東京公演での会場は、お台場ビックトップという常設の施設で開催されるようなので、このテント設営を実際に見ることは出来ないのだと思うと少し寂しい。

大規模なサーカスが数十台のトレーラーとともに世界中の大都市をめぐる一方で、各地の小さな町で中規模、小規模のサーカスがやはり同じようにテントを立てて公演を行っている。各地を巡業してまわるサーカスばかりではなく、常設ステージを持ってそこでショーを見せているサーカス団もあるのだろう。

www.youtube.com色々動画を見ているとサーカスにおける動物芸の是非の問題についての動画が出てくる。動物たちが走り回ったり何かするのを見るのは確かに楽しいのだけど、その一方で可哀想にも思うので悩ましい。個々のサーカスがどのように動物を扱っているかは分からないけれど、やはり動物芸というのは無くなっていく流れなのだろうなと思う。

上の動画の最後に、こちらの動画もチェックしてねみたいにして出てきたBunny Jumpingの動画

www.youtube.comウサギは可愛い。こんな可愛い動物が存在するなんて一体どういうことなんだろう。まあいいや。

 

www.youtube.com家族経営のサーカスや

 

www.youtube.com本当にものすごく小規模なサーカス。

www.youtube.comすべて人力、少人数でテントを立てる。こういうの良いな。イギリスのCircus Pazaz。

 

www.youtube.comもっと大きいサーカスだとこんな感じ。

素直に好きといえない

印象派という女性二人ユニット?のアルバム「印象派は君に問いかける」を聴いていた。Apple Musicの新着に出ていて初めて聴いたのだけど、これは中々、本心では好きなのに正直に言うのがためらわれるような感じだ。ちょっとひねくれて「うわ、ダセぇ」とか言いたくなってしまうというか。でも、そんな事じゃ駄目だ、素直にこういうの好きと言えるようになりたいと、そう思った。

2曲目の「Typhoon」とか曲中で「来るよ、また来るよ」なんてセリフが入って、はっぴいえんどオマージュと言うか、ちょっとした目配せがあったり、曲によっては2000年代初頭の日本のロックバンド、中でもくるりgrapevineフジファブリックASIAN KUNG-FU GENERATIONとかそのへん、の雰囲気を感じるところがあったり、後半にユーミンっぽい、曲だけじゃなくて歌い方とかも、そんな曲もあったりして、結構そういった参照元が滲んでて聴いていて楽しいのだ。

「Woman“Wの悲劇”より」って言う曲は松任谷由実が作曲した曲のカバーなのね、全然知らなかったけど、まあ確かに影響を受けていると言う事だと思う。

 

 

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良いですね。

タルコフスキーとホドロフスキーの区別がつかなかったので。

アンドレイ・タルコフスキーノスタルジア』を見た。なぜこれを見ることにしたのかというと、私がホドロフスキータルコフスキーの違いがわからない間抜けだったからで、ツタヤに行って、あっ、この監督の新作今度上映されるよね~と思ってタルコフスキーノスタルジア』を手に取ったというわけだった。タルコフスキーはもうすでに死んでいる。ホドロフスキーのほうはまだ生きてる。そして映画自体は、レンタルする際に懸念していた通り私にはチンプンカンプンで、その時は「やばい、今度の新作は見にいくの辞めといたほうが身のためかも」そう考えていた。もちろん「ホドロフ」と「タルコフ」が同じ値をとる私の思考能力では、この映画の色々な要素もどれもこれも一緒くたになってしまい、チンプンカンプンも当然のこと。もちろんホドロフスキーの作品も理解できないと、そういう事になるだろう。

あの狂っている人が部屋の中にあって全く用をなしていない扉を律儀に開けて歩いているところ、壁には大きく1+1=1と書いてあって面白かった。雨漏りはするわ犬はいなくなるわ壁には1+1=1とか書いてあるわドアは何の役にも立ってないわ窓際には蜘蛛の巣が張っているわ奥さんや子供には逃げられるわ自転車こいでたらおかしな外国人に絡まれるわ温泉に入っている人たちにバカにされるわ、少なくとも彼の世界は確かに終わっていて、焼身自殺もやむなしか。

もちろん本気でそんな感想を抱いたわけではなく、独特のスタイルや美学を感じさせる映像はとても良かった。建物の縦と横の線、直角に引かれた構図が頻出し、全く動かないかほとんど動きを止めたような人物達が風景のように立っている。アンドレイらが宿泊するホテルの部屋、ライトをつけたり窓を開けたり洗面所に行ったり本を開いたりして、カメラと人物が部屋を歩き回り、その後のシーンでその部屋の全体が映し出される。アンドレイがベッドで眠気を催し横になるとカメラが非常にゆっくりと彼に接近していく。突然犬が出てくる。犬はアンドレイの傍に寝そべり、アンドレイの手がその犬の毛を撫でる。この場面は見ていてとても惹きつけられるものがあった。外では雨が降っていたのも良い。何というかあのシーンがこれからこの映画の中で彼に起こる出来事の入口だったかのように感じられるのだ。

そしてアンドレイが最終的に帰っていく場所はロシアではなく、この地で度々彼の脳裏に浮かんできた故郷らしき所だ。そこには彼の案内人である犬もいて、聖堂の中に守られてもいるのだけど、あの家族や馬は一体どこに行ったのだろうか。

あとは疑問点がいっぱい。

アンドレイが調べていた音楽家の事はどうなったのか?彼が執着していた聖母マリアと幻想の中現れたマリアという女性の関係は?彼女はアンドレイの家族なのか?温泉に浸かっていた将軍達御一行は何者か?中国の音楽が何とかと言っていたし、むしろ調査対象だった音楽家と関わりのある人物?あの狂った人(名前は忘れた)に火をつけるよう煽っていたのは?マリアがカーテンを開けた時にそこにいた鳩は?モノクロの家族が家をバックに全員集合の場面で微動だにしない馬、首のところ変じゃない?ゴミだらけの街路のシーンで鏡のついた扉開けた時、ドメニコ(名前を調べた)が一瞬映ったのはなぜ?それにあそこはどこ?エウジェニアはなぜ教会で跪く事が出来なかったの?なぜビニールシートを貼っておく必要があるほど雨漏りが酷いところの真下にベッドを置くの?アンジェラって女の子は何?その時アンドレはなぜ呑んだくれてたの?どうして詩集を焼いたの?何でもかんでも意味を求めるべきではないけれど、こういった完璧主義的作品を作る作家においてはとりわけそうだけど、何かが画面に映るのはそれが置かれたからで、何か音がするのはそれが鳴らされたり録音されたからで、作品の中に何かがあるというのは作家が、あるいは作品自身がそれがそこにある事を望んだからだ。そういう考え方や作り方が全てではないと思うし、個々の要素がバラバラのまま、無意味なままでも全体としてどういうわけか素晴らしいというのもありえるかもしれないけど、多分この監督の場合は特に理由もなくそうした、という事はあまりなさそうなそんな気がした。

池袋の公園めぐりをした日記

言葉は何でも切れるハサミみたいなものなんで、何かよくわからないものでも適当に名前をつけてしまえば、それを他のものから分離して切り取ることが出来る。とは言っても何かを名付けるというのはそんなに簡単ではなくて、今いる南池袋公園の様子、思ったより人が多くて、混雑ているけど、それぞれみんなが思い思いの時間を過ごすことが出来るくらいの余地はあるらしい、その情景の全体を何らかの名前で呼べば、その言葉が凝結材のようにこの空間に流し込まれて、固定化することが出来る。写真のように?

私の左後方では歌の練習をする人たち、マクロス何ちゃらの曲。「キラッ」とかいうやつ。公園の芝生の中、レジャーシートを敷いて寝転ぶ人たちの真ん中でバトミントンをする男女。公園の隅にあるカマボコ型の坂を滑り台にして遊ぶ子供たち。私のいるあたりは小高いウッドデッキになっていて、芝生を挟んでカマボコ型の反対側には何かお店がある。公園入り口の時計台にはフクロウの像があり、その下で女の子が今しも芝生沿いに張られたロープを飛びこそうと駆け出す構えだ。こんなものを楽しいと思えるようになったのはいつからか、他の人たちがいて、その人たちが生きて動いているだけで何がしかの慰めか満足に似たものがある。

言葉が切り取るものは存在するものばかりじゃなくて、それは誰でも知っているけど、「無い」という言葉や「ゼロ」というのはそれによって、どこからだかわからないけどそれの意味するところのものを切り出してきた。単語でも言葉の並びでも、それは何がしかの意味やフィーリング、ニュアンスを切り出して来るもので、詩人がやっていることというのは、つまりそういうことでしょう。それで、やりようによっては意味のない言葉をとりあえず作っておいて、差し当たり空虚なその単語が次第に誰かの思考の中や人々の間から、今まで切り出されたことのないものや、それまでは存在すらしなかったものを、どこか別のところから引きずり出し削り出し切り取ったりすることが出来るかもしれない。そんなことを言って、別にそういうことをしたいわけでもないけど。

昔読んだ漫画「ぼのぼの」で確かシマリスくんがそんな意味のない言葉を作り出していたことがあった。「パオパオラリへ」未だにこんなものを覚えている。確か激痛をもたらす薬草を患部に塗り付ける時に、その痛みを紛らわす役に立つかもしれないということで、この言葉が出てきたんではなかったか。公園には照明がともり、ビルに囲まれて一足先に姿を消した太陽は、見えないながらもそれを染めつつあり、シートをかたずけて公園を後にする人、相変わらずそこらを走り回る子供たち、子供は意味もなくそこらを走り回りたくなったりするものだということを思い出した。小学生くらいのお兄ちゃんが、まだ言葉を話せないよちよち歩きの弟か妹を抱きかかえてデッキを降りる。そのお兄ちゃん、ベースボールキャップかぶって紺色の服を着た、は先ほどこの辺を走り回り段差を飛び越えしていた子だ。イヤホンを半分ずつ分け合って音楽を聴きながら微笑み見つめあうカップル。そんなものを現実に目にすることがあるとは。

ふらふらとサンシャイン方面へ歩いて迷っていると、お阿波踊りの練習を知る人たちや何かのカードかバッジのコレクションを手に持ち見せ合ったりしている女性たちのいる公園があった。十字路沿いには小さな白フクロウの像。調べてみると中池袋公園というらしい。交差点の向こう斜め向かいにはアニメイト池袋本店。カードだかバッジはここと関係がありそうだけど確かなことは分からなかった。南池袋公園とは随分客層が違い、それはそれでいいことだと思う。それぞれ各々の好みや個性に応じた居心地の良い場所があるというのは良い。

そのまま線路のほうへ、新文芸坐の方へ行くと池袋駅前公園、暗く殺風景な公園というより喫煙所であるここには酔っ払った老人と男たち、それから何匹かの人慣れした猫がいた。何だか池袋公園めぐりになってきたので、このまま西口公園あたりにも立ち寄ろうかとも考えたけどやめた。駅も近いし帰る。

そう思ったにもかかわらずパルコ前を通る時、人の流れに流されて、ウィ・ロードという東西連絡通路を通ってしまい。歓声に引き寄せられて西口まで歩いて行くと、祭りが開催されていて、それはふくろ祭りという祭りで、駅前ではよさこいの踊り。つまり先ほど中池袋公園で見たものは阿波踊りの練習ではなくて、よさこいの練習だった。学生たちが衣装を着て、エモいナレーションと音楽の中、でかい旗が舞い、人垣の向こうでは踊りが披露されているようだった。西口公園に移動するとそこでもよさこい。どっこいどっこいどっこいしょ!!ソーランソーラン!!との事だった。これから踊る人たちが列を作って駆けて行き、あるいは掛け声をかけて、キラキラした刺繍の施された色鮮やかな着物を着て、次の出番を待っている。踊り終えた人たちは晴れ姿のまま、知り合いに挨拶をしたら、一緒に踊ったメンバーと語り合ったり、祭りを楽しみに公園を後にした。

エモーショナルな祭りの会場を後にして、西池袋公園までやってきた。人もまばらで、鈴虫か何かが鳴いている静かな公園、遠くでパトカーのサイレンがなっている。よさこい祭はここまでは聞こえてこない。タイルと木々と少しの遊具。滑り台や動物型の乗り物。時々クラクションが聞こえ、警察官が歩いている。祭りの参加者達はこの日のために何日も練習を重ね、遠くからやってきた人もいて、この日その成果を披露する。友人や家族がその様子を見にきてスマホやデジカメで録画し、それらがあの場所に凝集して、私は今踊られているその踊りではなく、その背景にある練習の日々や本番に向かいつつも送られる毎日の日常に近づきたい。それを当事者としてではなく、安全な傍観者としてただ眺めていたいのだ。西公園では祭りとは無関係な人たちが話をしたり歩いて通り過ぎたりしている。南公園ではレジャーシート上で小さな宴会やおしゃべり、恋人達がデッキに腰掛け、子供達はもうあらかた帰っただろうか、いやまだ遊び足りないちびっ子らはカマボコ坂を登って行き、中公園ではアニメイト帰りの娘達が本日の購入物や自身のコレクションを見せ合い、駅前公園ではこれから映画を見る、あるいは見終わったシネフィル青年やパチンコで負けたか勝ったかした人、お酒を飲んで良い気分のおじさん達がタバコを吸い猫が佇み、西口駅前とウェストゲートパークで巨大な旗が空中を横断すると、見物客達はそれを眺め参加者達は彼らのよさこいに費やした年月をその踊りで表現している。
これらの情景やそこでの出来事全てを切り取ってしまえる言葉が欲しい。パオパオラリへ?それは冗談だけど、こんな一言でも、何がしかの痛みを少し和らげる役には立つかもしれない。